こんにちは〜
親子で世界中・日本中を行き来するライフスタイルを楽しみたい!
そんな夢のために、どこにいても自分らしく生きるマインドと稼ぐ力を身につける、『ボーダレス親子教育』を実践しているelleです。
久しぶりに、STEAM教育関連の記事を読んでいて、
おお!! っと納得できる格言を見つけたのでご紹介します。
こちらは、ジャズピアニストであり数学研究者でもある、中島さち子さんによる提言。
自らも、音楽×数学と、異なるジャンルを横断してご活躍されている中島さんは、
これからの教育に必要な要素として
①リアルであること
②横断的であること
③多様性があること
を挙げておられます。
これまで、いくら掘り下げても未解決だった問題が、
違う分野からのアプローチや異なるジャンルのコラボレーションにより
解決されたり、新しいものが生み出される時代になった、21世紀。
従来の画一的な教育から、
今後を生きる子どもたちにとって必要なのは
・誰でもが参加でき
・無限の目標があり
・無数の答えがある
こんな学習デザインが望ましい、と掲げておられるのですが、
その中で、大人の果たす役目は、子どもが
『遊びの奥の奥に広がる、深い学識や技術など、本当の学び』
に主体的に到達できるよう、
そっとサポートしてあげること、
というのです。
過去の日本が、大量生産的な教育で「普通」を量産してきたならば、
これからは、本来の学ぶ喜び、1人1人の興味や個性に沿った教育を、
ということですね。
その一環で、STEAM教育を推進しておられるようですが、
同時に、従来の「そこそこの平均値を維持しようとする教育」につきものである、
・マネタイズしやすい、システム化された教育
・先生が完璧な授業準備をしておくなど、個人の力に頼った教育
に対しては、いつか限界が来ると警鐘を鳴らしておられます。
私なりにまとめてみると、
これからの教育・・・
教える内容は、1つの教科などで区切るのではなくて、多業種を組み合わせたハイブリッド。
授業も、「先生が全部準備して、それしかしない」のような、限定的なものではなく、
子ども自らが動き、探し出してこそ、
学習の醍醐味が味わえる。
そのためには、教育に携わる大人たち自身も、
「みんな同じ」(同じものを全員に)
という概念や期待値を外して、見守る姿勢が必要。
大まかには、こんな感じかと思います。
その中での提言、
大人の役目は、そこにほんの少しだけ補助線を引くこと。
この言葉を目にした時、本来の趣旨からは少し逸れるかもしれませんが、
『大人の、やってあげ過ぎは禁物』
というフレーズが浮かびました。
私自身も大いに反省すべきところですが、
大人って、これまでの経験から
「こうすると良いよ」
を子どもに押し付けがち。
例えば、宿題のプリント1つとっても
「ここを今、理解しておかないとヤバい」
「漢字の書き順は、後に受験で絶対必要だから、今から覚えておいた方がいい」
という調子(はい、私です💦)。
もちろん、それも間違いではないかもしれませんが、
こうすると良いの「良い」は、
(今後が)ラク・簡単 etc.
今後来るであろう障壁を想定し、
今やっておくと将来ラクだよ、
みたいなニュアンスかと思うのです。
学習本来の、学ぶ喜び、知る喜びなどではなくて。
それって、本当、これからを生きる子どもにとっては邪魔でしかないな、
と思いました😅
これまで、大量生産と効率化によって、ある程度社会が発展してきましたが、
その流れの中で教育を受けてきた大人の発想は、
学習 = 受験・テスト対策
のようなシステム的なものに、つい自然となってしまいがち。
そのベースの上で
あれこれ口出ししてしまう、というか。
社会が成熟し、全く新しい世界へと進もうとしている今は、
「答えが1つではないという、柔軟さを持つ」
ことが大切。
昨今の世界情勢を見ても、
「多様性を認める」ことが
トレンドくらいの勢いで、
そんな、今後何が起こるかわからない世界で、
今を生きる柔軟性が養われていなかったら致命傷。
それなのに、大人が手取り足取り、何から何まで準備しておいたり、
画一的な答えを押し付けてしまったら・・・??
子どもの中に眠る可能性や創造力、新しいものを生み出す力が
花ひらく、芽吹くことなく終わってしまうのではないでしょうか。
まずは、大人自身が、自分は旧世代と自覚して、知識と人格のアップデートに努める。
そして、やりすぎ・構いすぎ、となるのではなく、
必要な時に助けられるよう
静かに見守る。
「こっちかもよ」と、そっと背中を押す。
これからの教育にあたっては、
子ども自らが考える余白を生み出す、
大人の余裕が必要なのだな、
と気づかされた言葉でした。
