こんにちは〜
親子で世界中・日本中を行き来するライフスタイルを楽しみたい!
そんな夢のために、どこにいても自分らしく生きるマインドと稼ぐ力を身につける、『ボーダレス親子教育』を実践しているelleです。
前回、VIA BUS STOP閉店のニュースから
過去のお買い物遍歴を次々思い出したことを書きました。
思い出していくと、もう止まらない!!
そもそも幼少期から、
服を買うって一大イベントだったな〜
とか、小学生の頃の購買体験まで蘇ってきました(笑)
昔はプチプラなんてなかったので、
ここぞという時の子ども服も、
概ねデパートだったんですよね。
価格もそれなりなので、親はもう真剣。
あーでもない、こーでもない、
好きなのか、似合うのか??
と試着しまくって、
1日かけてショッピングしてました。
(遠い目・・・)
そのあたりのことも、またおいおい書けたらな。
って、なんかブログの趣旨が変わってしまいますが、
『真剣に物を選ぶ姿を子どもに見せる・
あるいは一緒に選ぶ』
って意外と重要なんじゃないかと思ったんですよね。
子ども心には、試着が面倒だったのも事実ですが、
「これにはお金をかける」
という親の気迫に圧倒され、
「ここまでして選んだから、大切にしなきゃ」
と幼心に刻まれたもの。
だから、今でも、こんな服着てたと覚えてる!
それって、すごいこと。
果たして、ネットショッピングで買った服や
プチプラ服をちょいちょいと着ている今の子どもたちが、
未来に「昔、こんな服着てたな〜」
と感慨深く思い出すのだろうか?
とまあ、思考が止まることなく続くので
本題に行きたいと思います。
(前回の続き)ハイブランド好きの、ぶっ飛んだ友人
さて、前回、
セレクトショップ・VIA BUS STOP閉店のニュースに思うことを
つらつら書きました。
そこで久しぶりに思い出したのが、
ハイブランド好きな
このワイルドな友人のことです。
大学の先輩で、
ロシア語の授業で知り合ったところから
急速に友人に。
日本文学専攻ながら、
『蝶々夫人』などからイタリアにハマり、
独学でイタリア語がペラペラ、
毎年夏は数ヶ月イタリアでバカンス、
という強者でした。
(ついでに彼もイタリア人だった)
イタリアに行き過ぎて2年留年し、
私より3歳年上ながら
学年が1つしか変わらず、
3年生なのに必修単位がまだまだ残っていたので、
学内でもバイト先でも頻繁に会っては
行動を共にしていたものです。
この友人、独自路線のイタリアーナなスタイルで
校内でもとりわけ目立つ格好をしていました。
基本的に、好きなのはドルチェ&ガッバーナのカラフルかつグラマラスな服。
よく着ていたのがアンナ・モリナーリ。
・・・というところからわかる通り、
ワードローブの基本カラーは赤やピンク。
ドルガバを象徴するフラワー&フルーツパターン柄が好きで、
差し色もオレンジやイエローなイメージ。
リップは当然、赤一択。
当時の主流だったコンサバスタイルをよそに、
本人の思い描く、
「イタリアのいい女」
を堂々と着こなしていました。
プラダのナイロントート全盛期でしたが、
それもピンク、
私にギフトでくれたパシュミナのストール(これまた懐かしい響き)もピンク・・・
部屋には赤いソファーを置いてましたね😅
ハイブランド好きのお財布の実態
この友人、実家は裕福でしたが、
それ以上に支出が多かったので、
鬼のようにバイトしては
自分の好きな服やバッグに全財産をつぎ込んでいました。
バイトは社会人感覚でこなしていたので、
月の収入としては社会人2〜3年目くらいはあったと思います。
が、いつもハイブランドの直営店やヴィアバス、
安くてもアニエスbとか、クローディ・ピエルロ、モルガン
なんかで買い物をしていては
お金が貯まるはずもなく、
家計は常に自転車操業(笑)
カード引き落とし日直前の焦りようは半端ではなく、
私も何回かピンチを手伝って、
ブランド品を買い取ったりしたものでした。
それこそドルガバのPコート(裏地はレオパード柄)、
トム・フォード時代のグッチのお財布(タイガーヘッド付き!)。
懐かしいですね〜〜
というか、私も学生の身、
別に資金が潤沢にある訳でもないのに
救済を頼んでくるなんて。
流石に、この金銭感覚はヤバい!
とは思いましたが、
実は、この友人から学び、
触発されたことが本当に沢山あったのです。
ぶっ飛んだ友人のすごかったところ
1. 好きなこと・モノを貫くパワー
まず、時代のトレンド@女子大生
なんかに関係なく、
好きなスタイルを貫いていたところ。
当時は、雑誌でいえばJJ・CanCamなんかが全盛の時代でしたが、
彼女の世界観はイタリア、
女優のモニカ・ベルッチを師と仰ぐスタイル。
学生ウケ・日本人ウケする格好ではありませんでしたが、
持ち物を好きなもので固めている彼女はとても楽しそうだったんです。
そして、周りが真面目に就活していようが
大学4年であろうが、
夏は必ずイタリアへ!
なんとか卒業後は、
自分のバックボーンに見合う外資系企業一択で
怒涛のごとく面接を受け、
派遣社員としてマッキンゼーへ、と、
「安定・安心」ではなく「好き」を貫くライフスタイルでした。
2. 超ハイレベルなコミュニケーション力
そして、今にして思えば、
どこへ行っても自分のスペースにしてしまう、
そのコミュニケーション力が、とにかくすごかった!!
自分が大学生
(2留していて、3年生なのに23歳だったりしたけど 笑)
とか、そんな立場を超えて、
どこのお店でも担当の店員さんと仲良くなり、
「〇〇ちゃん」と親しく呼んではたくさん買ってあげて、
売り上げに貢献してあげる・・・
そういう意識のある友人でした。
プラダでも、ドルガバでも、グッチでも、ヴィアバスでも、
コスメカウンターのランコムでも、
表参道のサロンでも、
その他諸々。
もう、思い出せばキリがないくらい、
各分野で行きつけのお店&親しい店員さんがいたのです。
中でも、思い出すのは、アルバイト先のエステサロンでのこと。
そこは、ゲラン・サンローラン・エステダム・タルゴなど
名だたる有名ブランドが一堂に会したエステサロンで、
彼女は総合フロントを担当していました。
各ブランドサロンの予約を取りまとめる、重要な役目です。
普通は社員が担当するくらいのポジションなのですが、
(年齢的に社員になってもおかしくはなかったのですが)
頭の良さとコミュニケーション力を買われて
大学生ながら抜擢されていたのでした。
時給も1,800円と、派遣社員並みの待遇。
かなり重宝されていたと思います。
そこまでになった理由の1つが、
超気難しくクセのあるストアマネージャーと
大変良好な関係を築いていたこと。
社員でもうまく付き合えないような性格の人だったのに、
友人はイタリア人さながらのハイテンションで
常に楽しそうな雰囲気を振りまき、
マネージャーの喜ぶことを沢山やってあげて、
それは上手くお付き合いしていました。
とにかく、人の懐に入るのがとても上手だったんです。
もちろん、マネージャーの人となりも
周りからどう思われているかも、癖も、
全部わかっています。
わかった上で、この人はこういう言い方をすれば喜ぶ、
ということを、半ば本能で、戦略的に考えて
接しているようでした。
その裏側には、
「マネージャーも、実は本部からプレッシャーをかけられていて辛い」
という、相手の弱みなども含まれていて、
そこを癒してあげるような
棘のない接し方だったので、
鬼のマネージャーもそれは可愛がっていて。
必然的に、マネージャーの一番弟子、秘蔵っ子
みたいな存在になっていました。
他の社員スタッフたちは、そのマネージャーから日々叱咤され、
付き合いに一苦労していたのに、です。
何しろ、エステサロンってノルマが厳しくて
ストアごとの売り上げ競争も半端ない。
エステティシャン個人にも売り上げノルマがあって、
いかに上客と出会うか?
リピーターになってもらうか?
エステ以外の化粧品なども売り上げていくか?
その詰めもすごかった。
バックヤードには、個人の売上順位まで
毎月貼り出されていたほどです。
当然、実績下位のエステティシャンに対する
マネージャーの当たりときたら冷酷極まりなく、
もう、人間じゃないくらいの扱いでした。
そんな殺伐とした職場で、
自分より年下の学生が
鬼マネージャーから溺愛され、
秘書みたいなポジションにいる・・・
やっかむスタッフがいても、おかしくありません。
ところが、そうならないのが彼女たる所以。
スタッフにはいつも笑顔で愛想良く接し、
言いたいことは本音で話し、
マネージャーとの仲も取り持ち、
なんなら自分もエステの顧客として売上に貢献し。
まあ、エステの施術は、自分の美に繋がるので
トップエステティシャンからと決めていましたが、
一方で、オプションの化粧品は
必ず「成績下位のスタッフから購入すること」
を徹底していました。
毎回最下位で、オプション販売が不得意な
ゲランのスタッフさんがいたので、
ほぼ毎度彼女から。
結果的に、そのスタッフさんともとても仲良くて、
エステに通ってるのでトップエステティシャンとも仲良し、と、
社員同士でも難しいレベルの人間関係を形成していました。
周囲の人が、どうすれば喜ぶかを知り、
できる限りのことで尽くす。
ショップの担当さんも、
「この人と付き合いたい」
と思ったら、とことんその人と決め、
お店が移動になっても付いて行く。
今振り返っても、本当に稀有なコミュニケーション能力だったと思います。
私個人は、職場や学校での人間関係を超えて
もっと深く付き合ったので、
皆が驚くほどの明るさの背景にある
彼女のダークな部分(家庭環境からくる)にも触れ、
その被害を被ったこともありました。
極端に時間を守らなかったり、
もっと酷かったのは、
実家に遊びに来る約束をしておきながら
来なかったり。
(家族全員、スケジュールを空けて待機していたので、
この時ばかりは本当に怒りましたが)
とにかく、ぶっ飛びすぎるくらいぶっ飛んでいましたが、
彼女のコミュニケーション術から学んだことも多かったし、
私自身が使えるお金のリミットが引き上げられたことも事実。
私にとって、とても影響力のあった友人でした。
今、家庭人としても、社会人としても、
コミュニケーションの大切さを痛感していますが、
今思い返しても彼女のコミュニケーション力はハイレベルだったと思います。
無理してた部分もあったと思うから、
肩の力を抜いて、素敵な人生を送っていることを
願うばかり。
私も、当時の彼女がすでに身につけていた
「周りが喜ぶことをする」
この姿勢、改めて意識してみようと思います。
