天才性

【天才性】羽生結弦選手に学ぶ、人としての在り方④〜客観視する力

こんにちは〜

親子で世界中・日本中を行き来するライフスタイルを楽しみたい!

そんな夢のために、どこにいても自分らしく生きるマインドと稼ぐ力を身につける、『ボーダレス親子教育』を実践しているelleです。

 

今月は羽生結弦月間!(笑)

なんて思っていたら、
今朝のNHK『あさイチ』で
ピアニストの清塚信也さんが
羽生選手とのコラボについて語っていたりと、
シンクロを感じてます。

 

さて、前回より、羽生選手の凄さについて
子育てに活かせるヒント・人間性
という観点から、以下のようにまとめました。

 

超個人的:羽生選手・凄さのポイント

①’好き’という原動力

②目的意識

③客観視する力

④ボーダレスな人付き合い

オマケ:目に見えるもの・見えないものの融合

 

今回はこのうちの『③客観視する力』を取り上げてみます。

 

 

いいなと思える方達の共通項

 

ここ最近、私がお付き合いさせて頂いている方・
あるいはメディアなどで目にした時にいいなと思う方って
共通点があるなぁと感じていました。

それが何かと言うと、どうやら

 

自分のことを客観的に見ている

 

ということのような気がするんです。

 

どんなことか?
2、3例を挙げてお話ししますね。

 

 

まず、占い師でしいたけ.さんという方がいます。

初めて目にしたのは、雑誌『VOGUE Girl』でした。

「この人の言ってること、何かわかるな・わかりやすい」
素直に心に入ってくるぞと、そんな感覚がありました。

 

私は占いが結構好きで、もう少し前に自分が心身ともに弱りきっていた時には
石井ゆかりさんという方の占いにお世話になっていました。

石井さんは星読みをメインにされていて、占いの文章が当時としては独特。
どこか癒し効果があり、
弱った心にも一筋の光をくれる安心感があったのです。

 

しいたけ.さんも、文章に愛があり、

「どの星座・どんな人にも、ダークな部分と良い部分がある。
全てひっくるめてその人の魅力!」

というスタンスの方。

ダークな部分まではっきり言ってくれるところが、
ドライ且つわかりやすい。

ちょっと何言ってるのって感じかもしれませんが、
とにかくそんな感じなんです。

 

言っていることがやけにしっくりくる。

そこで、何でしいたけ.さんの占いが好きなのかなと自問していたところ、
直近のVOGUE2月号にしいたけ.さんと脚本家・中園ミホさんの対談があり、
その中にヒントを見つけました。

 

しいたけ.さん曰く、

 

哲学科の大学院生だった26歳の時、就職活動が全滅で悩んでいた。
勝ちたいと思っていたのに、
勝ちのコツをつかむのがうまい人たちに結果をさらわれて、
負け続けがコンプレックスだった。

けれどある時、あなたはお坊さんのような人だと言われ、
将来お布施で生きていくと言われた。

そうか、自分は負けていいし、全部譲ればいいんだ、と腑に落ちた。
そこから占いの勉強を始めた。

 

ということがあったらしいんです。

 

ここを読んだ時に、すごく納得しました。

そうか、この方は、自分のことを客観的にわかっているんだな、と。

勝ちたくても勝てない、自分よりもっと勝つことが得意な人たちがいる。
そうわかった上で、自分のことを受け入れている。

その在り方が文章にも現れているんだなと思ったのです。

 

この、
『自分のことを客観的に受け入れる』
って、なかなか難しいことだと思うんですよね。

それも、弱さ・脆さを本当の意味で受け入れるということ。

 

(他に、
勝ちを手放す。譲ってよい
ここもかなりのキーワードだと思いますが、
それはまた別の機会に。)

 

私たちが弱さや課題に向き合う時といえば、
例えば就活でエントリーシートを書く時。

どうしても、短所を書く欄がありますよね(笑)

ただそこでは、自分のことを客観的に見つめつつも
「だから、こう克服します」
をセットで考えておかないと評価されない
という前提。

本当の意味で向き合っているのかは謎で、
変に見つめすぎるとディープになりそうと
一歩手前で止まる人が多いのではないでしょうか?

 

結局、向き合えずにスルーするか
自分の短所に落ち込んでしまって、
「それでも良い」という境地には
なかなかたどり着けないものです。

 

でも、しいたけ.さんはもっと自然。

弱さを知った上で、変に蓋をしない。
弱さを否定せず、かといって戦いもしないんですよね。

そういう方の文章だから、無理なく受け止められるのかも、と思いました。

 

自分を客観的に見る。でも卑下しない

 

もう1人は、私がここ数年お世話になっている、メンターの方。

 

すでに時間的・経済的自由をハイレベルで確立されていて、
ビジネスの相談に乗ってくださったり
「驕らず・粛々と、生きる基礎を守る」ことを教えてくださっていますが、
ご自分のことを必ず「豆粒凡人」と表現されるんですよね😅

(この言葉だけで、誰かわかってしまう方もいるかもしれません)

 

私からすると、「豆粒凡人」と思ったことは一度もありませんし、
そんな「豆」まで付けなくても、とも思います。

(豆って付くことで、より平凡感が強調されている・・・😅)

 

当たり前ですが、自分が凡人と思う人に
「教えてもらおう! ついて行こう!」
とは思わないですよね(笑)

非凡なものを感じるからこそ、
この方から教わりたいとなるわけで、
まさに私はその1人。

そして、教わっている人は私だけではないので、
少なくとも一定数の人が
「凡人ではない」
と思っていることになります。

 

けれど、ご自分では「豆粒凡人」と枕詞のように仰っている。

 

それは、人がどう思っているからではなく、
自分自身で、自分のことを

「特殊な才能を持つ天才ではない。
だから凡人なりの戦い方をする」

と受け止めた上での表現だと感じるのです。

 

(と、直接確かめたことはありませんが、
受け手側としてはこんな印象です)

 

これもまた、自分のことを客観的に見た上での言葉。

 

そして、先ほどのしいたけ.さんとも共通するのが、

 

自分の小ささ・弱さを認めた上で、卑下はしない。
未来に繋げる

 

ということです。

 

日本人特有の卑下って、

「自分なんかのつまらないものが」
「いやいや、そんな・・・」

と、何の発展性もなく終わったりしますが、
そうではなくて

「自分ってこんな者です。だから、こうしてます」

と極めて自然に、次の展開へと繋げていて、
それが在り方になっています。

 

なので、発言に無理がない。

受け手も、ありのままを受け止めることができるのではないか、
と思っています。

 

羽生選手の客観的な視点とは

 

そして羽生選手。

羽生選手も、
自分のことを客観的に見つめ、
まずはありのままに受け入れている
気がします。

 

2016年に放送された『情熱大陸』では、
「自分は弱い」
とはっきり言っていました。

(当時、足を痛めながら強行出場した世界選手権で2位。
足の怪我はトップシークレット、という状況での密着。

「本当に強い人なら、周りが何と言おうと頑張れると思うが
自分は弱いので、周囲の環境を遮断しないと
戦うところまで持っていけない」
というニュアンスでの発言でした)

 

また、最近では、他の選手が多種類の4回転ジャンブを駆使することなどから、

「みんなすごい上手で、みんなうまくなってて、なんか1人だけ取り残されている」
とも。

 

そこには当然、焦りや、嫌だなーという感情もあったりすると思いますが、
それも変に隠さず

「自分って、こうだよな」

と、まずは客観的に認定して表現する。

 

そしてその先に、必ず次の展開があり、
それが状況打破に繋がっているようです。

 

書いているとメンタル的な側面が強くなってしまいましたが、
当然、この客観視する力がより顕著に反映されているのは、技術面。

 

・・・なのですが、
長くなりすぎてしまったので、
続きはまた次回に!