ワーキングマザー

【ワーキングマザー黎明期】縛られない働き方を志したきっかけ。

こんにちは、elleです。

親子で世界中を行き来するライフスタイルを楽しみたい!

そんな夢のために、どこにいても『自分らしく生きるマインドと稼ぐ力を身につける、ボーダレス親子教育』を実践しています。

 

コロナの影響で、リモートワークが叫ばれて久しい、今日この頃。

日本人の習慣として、やはり

・出社すべし
・会議ありき
・捺印必須

みたいなところがあるので、なかなか定着しないかも? と思っていたのですが、
コロナの拡大っぷりにも、経済を止めてはいけないこともあり
政府も推奨モードになっています。

 

私は、働く母として、ほぼ最初からテレワークの道を行っていたのですが、
今日、ふと、
「そういえば、どうしてオンラインで仕事するようになったんだっけ?」
と考え込みました(笑)。

 

このことに思いを馳せると、自分では、いつも
長男生後6ヶ月あたりでフルタイムワーカーをしていた時の過酷さが蘇るのですが、
よくよく考えると、最初のきっかけはもっと前からだったような。

 

・・・。

そうだ、海外(韓国)に、結婚以外の目的を持たずに
かる〜い気持ちで移住しちゃったからだ!

そして、当時印象的だった、ある出会いのことが頭をよぎりました。
せっかくなので、振り返ってみたいと思います。

 

 

 

慣れない海外生活で、収入がない辛さを味わう

 

私の仕事は、服飾品の輸入販売。
主にヨーロッパから商品を買い付け、オンラインで販売しています。

買い付けや販売を含めたほとんどの作業は、
現在ほぼ、オンラインで完結しているので、
住む場所に縛られず、どこでも仕事できることが強み。

ここにたどり着くまでは大変でしたが、
昔、一念発起してトライしてみて良かったと、
今では心底思っています。

 

かくいう私も、最初からオンラインで仕事をしようとは考えていませんでした。

直接的な引き金は、長男のまるきが生後半年くらいの時、
夫が急に自営業を始めたことで生活費が不足し、
私のみ子連れで日本へ緊急帰国、ワンオペ育児でフルタイム働いたことでした。

当時一人暮らしだった妹宅にお世話になりつつ働いていましたが、
お給料の半分は子どもの保育代で消え、
毎日37.5度の壁(子どもを預けられるボーダーの体温)と戦う日々。

昼休みは一時帰宅して家事を済ませ、
また出勤。
赤ちゃんは夜泣き。寝不足で朝。

も〜〜〜、無理!!
と思い、好きなことを仕事にして、場所や時間に縛られない生活をする、
と固く心に誓ったのでした。

 

が、そうなる前の黎明期。

一番最初のきっかけとしては、やはり結婚で海外(韓国)に住み始めたことだった気がします。

 

結婚するまでは、結婚という人生の一大イベントに半ば浮かれていて、
正直あまり現実を見ていなかった、
今思い返しても本当に甘々な私だったのですが、
結婚後、夫の母国である韓国で生活を始めると、
すぐに後悔の大嵐に(笑)

結婚前から、別に韓国にすごく興味があるわけではなくて、
夫の母国だから行くという感覚のみで仕方なく暮らしていたのですから
まあ当然だったと思います。

言葉も拙い状態で、就職などできるはずもするはずもなく、
日中は家にいるだけ。

もちろん、主婦という立場上、最低限の家事はあるのですが、
他にやることと言ったら、
平日・午前中に文化センターみたい所で開かれる韓国語クラスを受講したり、
少しずつできた友だちと会う程度でした。

 

心は
「こんなことで本当に良かったのだろうか?」
とザワつくばかり。

いつも日記帳を持ってカフェにこもり、
気分のままに日記をつけたり本を読んだりしていたことを思い出します。

まさに、現実逃避!

今では、
「そんな風に感傷的になってないで、1円でも生み出す努力をすれば?」
とか思ってしまうんですが(笑)
当時は、本当に気力がなくて、何か能動的に動くといえばカフェだけでした。

 

その大きな原因の1つが、結婚を機に発覚した夫のどケチぶり。

結婚前は、私が家計を預かるという約束になっていたにも関わらず、
結婚後、蓋を開けてみたら、家計を任されるどころか、
生活費も言わないともらえない状況だったんです。

まあ、これには色々と、夫の大変だった過去などの影響があったのですが
結婚したからにはそんなの関係なくて、
外国から嫁いだ妻に対して、本当あるまじき行動だと今でも思います。

私としては、
は〜〜!?
仕事を辞めてこっち来たのに、なんだこれは!!
という感じで、まさに豆鉄砲を食らった鳩状態。

何度話し合っても平行線、結局は財布別々という時期はしばらく続き、
自分の貯金を切り崩して生活するしかない状況も、
私の心にかなり追い打ちをかけていました。

 

今思っても、はてなマークしか浮かばない結婚初期の実態。

もし、知人や自分の娘がこのような状況に置かれていたら、
「頭冷やして、さっさと別れて帰って来なさい」
と言い放つであろうシチュエーションです。

が、当時の私は、結婚を反対していた親に
「絶対に添い遂げます」くらいの勢いで啖呵切って出国した手前、
すごすごと帰れない、という思いが強かった。

自分の置かれた状況を冷静に見ることができず、
見栄のためか居座り続けてしまったんです。

 

そんな中でしみじみ感じたのが、自分に収入がないことの不自由さでした。
貯金はありましたが、無収入で使い続けると、いつかなくなるのは目に見えています。

元来、私だって普通に働けばお金は得られる。
言わないと生活費をくれない夫がおかしいと思ってたけど、
そもそもそんな夫を頼らないといけない状況だって、あり得ない。
日本にいた時は、普通に自立してたのに。

そんな気持ちが募りつつも、
思い描いていた結婚生活とはあまりに違う事態に、
後悔の念に苛まれるばかりで、
具体的に現状を変える努力が全くできず、気力もない。

それが当時の私でした。

 

印象的だった、ベトナム人の女の子たちの話

 

そんな時、とても驚いたことがありました。

それは、韓国語クラスで一緒だった、
中国・ベトナム・カンボジアなどから
韓国人と結婚するためにやってきた女の子たちのこと。

 

私が通っていた、国際結婚をした人対象の韓国語講座では、日本人は超少数派。
大部分が、アジア諸国から結婚して移民してきた人たちでした。

その子たちは、ほぼみんな20代前半。
そして、夫となる韓国人たちはだいたい40代ぐらい。

その現実にも驚いたのですが、もっと驚いたことには、
そういった女の子たちは、結婚後すぐに韓国で働き始めていました。

 

韓国語はほとんどできなくて片言レベルなのに、もう毎日仕事してる!

すごいなと思って、ある時、
「どんな仕事してるの?」と聞いてみました。

すると、仲良くなった、ベトナムから来た女の子が

「物を梱包するような工場なんだけど、時給は3500ウォンくらいかな」
(1000ウォン=100円換算で、350円くらい)

と、親切にも教えてくれたんです。

そして、なんと

「工場長、すごく嫌な人なんだけど、友だちも大体ここで働いてるから、みんなで何とか頑張ってる。
お姉さん(=私)だったら、日本人だから時給はもうちょっと高いかも。
良かったら、一緒に仕事しない? 紹介してあげるよ!」

と言ってくれたのでした。

 

当時は、韓国人の大学生アルバイトや主婦のパートの平均時給が5000ウォン(=500円)程度の時代。

「何、その安さ!?
日本の地方高校生のバイトの時給にも満たないよ」
って思いますよね。
私もびっくりしました。

だいぶ昔ではあるのですが、そこまで大昔でもありません。2012年くらいの話です。

 

今は国の政策が変わり、平均時給も上がっているのですが、
当時はそれが普通。

主婦も、結婚しても大手企業で働き続けているようなバリキャリや、公務員などは高収入ですが、
一旦キャリアを捨ててただのパートとなると、低収入。
外国人だと、尚更安いと聞いていました。

 

そんな中で、ベトナムから来た女の子たちの時給はさらに安く設定されていて、
本人たちもそのことを自覚している。

でも、文句を言うでもなく、淡々と働いているんです。

 

結婚を後悔し、悩みのドツボにはまっていた私は、感銘を受けました。

何も動いていなくてクヨクヨしている私より、
この子たちの方が断然逞しい。
生きるために頑張っている。

そう思ったのです。

 

そして、日本では普通に働いて、自分のお給料で生活することが当たり前だったのに、
韓国へ来て夫の収入に頼るしかなく、生活費をもらえなければ収入ゼロの私。

何だか、そんなことが全部嫌になって、
やっぱり自分でお金を得ていくこと・自分の裁量で動かせるお金があることって本当に大切なのだと実感、
働いてみたい! と本気で思い始めました。

 

経済的な自立を模索し始める

 

韓国語も流暢にできるわけではない私には、できる仕事は限られていると思ったので、
この時、その女の子が誘ってくれた工場の仕事をやってみたいと夫に相談しました。

仕事をすれば、この社会とも接点ができて、馴染むきっかけになるかもしれない。
何でも良いので、ここでも自分の力でお金を得ていく必要があると考えたのです。

しかし、夫は大反対。
そうこうしているうちに妊娠がわかり、つわりで韓国語クラスへも行けなくなり、
工場で働く話は自然消滅しました。

 

ただ、この一件をきっかけに、

✔️自分で稼げるようになろう。
✔️夫からの生活費を待ち続けるような妻には、絶対にならないでおこう。

と、心に決めました。

夫が不機嫌になるからとか、そういう理由ではありません。
自分のために、この心構えで行こうと思い直すきっかけになりました。

 

そして、その時以来、
今の私のレベルでは、韓国社会で働くにも時給が低い。
という事実をふまえ、
だったら、オンラインで何ができる仕事はないのだろうか、
とリサーチをし始めたんです。

 

その後、出産のため日本に帰国してからもリサーチを続け、
トライ&エラーを繰り返し、
ファッションバイヤーの仕事を始めることにつながりますが、

思い起こせば、あのベトナム人の女の子の
「お姉さん、一緒に仕事しない?」
というお誘いが、
自分でも仕事しようと思うに至った一番最初のきっかけでした。

 

いやー、久しぶにり思い出したのですが、本当に懐かしいです。

その後、お互いに韓国語クラスも辞めてしまって、会うことはなくなったのですが、
あの女の子ならどこでもたくましく生きていそうな気がします。

あの時、彼女たちと話していなかったら、
働くことに意識を向けるのが、さらに遅かったかもしれません。

 

今の仕事に至る前、まさに夜明け前の時代の出来事でした。